はじめまして!
パワープロ住健で、お客様担当をしている奥田真平(おくだしんぺい)です。

なにごとにも全力でぶつかり、厳しいけど成果をよろこんでくれる父。
相手の気持ちを想いやる、やさしい母。
そんな両親から受け継いだものを、今度はわたしがお客さんにお返ししていきたいと思っています。

 

なぜわたしが【覚悟】を使命に掲げているのか、そのわけを聴いていただけますか?

「おまえの父ちゃん、すごいなぁ」

小学校1年生のころのある出来事、忘れられません。

仕事で毎日帰りが遅い父は、時々、ソファで寝ていることがありました。私が朝起きたとき、ソファと父の間のすき間に入って一緒に寝ること。妙に安心感がありました。あのすき間が、なんとも好きでした。

小学3年生のとき、友達に誘われ、ソフトボールクラブに入りました。運動神経のいい父は、私の練習にも一緒に参加してくれました。父は、膝を擦りむきながら、全力でスライディングをしていました。

そんな父の姿を見て、友達も「おまえの父ちゃん、すごいなぁ」と言ってくれました。私も、運動神経がいいだけでなく、父の全力で取り組む姿に「かっこいいなぁ」と思っていました。

わたしの父は、厳しく、私が口ごたえをするとよく怒られました。それでも、なにか成果を出すと一緒によろこんでくれたのです。

小学校6年のとき、私のソフトボールチームが三重県で優勝しました。父は、自分のことのように「よかったなぁ」とよろこんでくれました。福岡県で開催された全国大会に来て、父と母が声をからして応援してくれたこと、一生の思い出です。

「なんでわかりあえないの?」

母は、家族が大好きです。いつも、4歳上の姉と私のことを想ってくれていました。「これを言ったらいやがるかなぁ」と私たちのことを気づかい、自分の言いたいを口にしませんでした。私にとっては、とてもやさしい母です。

相手のことを想いやり、人にきついことを言わないため、病院の事務の仕事仲間からも、よく相談されていたそうです。

小学校の1、2年のころ、父と母は、よくけんかをしていました。父が一方的に母に怒っていました。それに対して、母は、なにも言い返さない。キレたり、怒ったりもしない。

「言い返せばいいのに。なんで言い返さないんだろう」

「お母さん、かわいそう。でも、見なかったことにしよう…」
私は、ベットで一人涙しながら、悲しい気持ちを押し殺していました。

小学6年のとき、ある日の夜、母から淡々と父との離婚のことを告げられました。

「ごめん…」

私は、そんな雰囲気をわかっていたので、
「だいだい、そんなんわかっとった……寝たいで、寝るわ」
そう言って部屋に行きました。

部屋に戻り一人になった途端、急に悲しみがこみ上げ、涙があふれ出ました。

次の日朝起きると、これ以上悲しまないように、すっぱり気持ちを切り替えました。考えても仕方ないし、どうすることもできない。

「そうだ、なにごともなかったかのように生活をしよう」

ただ、私の心の奥底では、
「なんで、言わないの?なんで、わかりあえないの?」
と叫んでいたのです。

「一人にせんといてな」

中学のとき、ある事件が起きました。

小学校のソフトボールも一緒、中学の陸上の部活も一緒の友達がいました。私が、あるとき、その友達の悪口を知り合いに言ってしまったのです。そのことが、友達の耳に入り、言い合いのけんかになり、絶縁。

部活で会っても、目も合わせない、口もきかない。

友達から嫌われている感がこびりついて、「なんかなぁ…」というモヤモヤした感じでした。
「このまんまじゃ、いやだなぁと」思い、ほかの友達に相談しました。とにかく、誰かに話しをしたかったのです。

話しをしたら、友達は親身になって話しを聴いてくれました。そのことで、とても気が楽になったのです。

「ぼくの味方なんやなぁ」

一人じゃない、話せるやつがいる、という安心感。

そこで、
「なにごともなかったかのように、以前のようにふるまってみよう!」
そう決心して、私から絶縁していた友達に思い切って話しをしました。

すると、不思議なもので、その瞬間から、その友達とは、以前のようにふつうの関係に戻っていったのです。

高校に入り3年になったとき、卒業後の進路を決めるときがきました。

寂しがりやの母は、「一人にせんといてな」と、ときどきポツリともらしていました。私も「母を悲しませたくない」という気持ちが強くありました。

そこで、金銭的な面も考えて、地元で、国立大学の三重大学だけに絞りました。どの学部に行きたいかということよりも、どの学部が入りやすいか、を考えて、電気電子学部にしました。

本当は、教育学部を目指したかったのです。ところが、英語が得意ではなく、英語の勉強から逃げたくて、その選択をしませんでした。
入りやすい学部だし、三重大学に行きさえすれば、母が安心して、よろこぶ。その考えだけで進路を決めました。

「ここで働きたい」

現役で、三重大学・電気電子学部に合格しました。とりあえず、大学に入ったらなんとかなるだろう、という気持ちでした。

将来自分がなにをしたいのか、はっきりしていませんでした。ただ、人と接することがしたくて、中華のファミレスでバイトをすることにしました。

どうしたら、来た人がよろこんでくれるのか、考えることが楽しかったのです。たとえば、小さいな子がニヤッと笑うと、手を振って笑顔で返す。そんなささいなことの積み重ね。

そうするうちに常連さんができて、「この間来たのに、おらんかったやん」と声をかけてくれるようになりました。

また、「兄ちゃん、いつも元気やね。いつも明るいわ」「兄ちゃんがいるから、来るわ(笑)」と言ってくれることが、とてもうれしかったのです。こちらが憶えていないことまで、お客さんは憶えていてくれる。

一店員ではなく、奥田という一人の人間として評価してくれたことが、なによりうれしかったのです。

大学4年になりましたが、就職先が決まらない。自分がなにをしたいのか?いまだ見えなかったのです。

中華のファミレスのバイトは楽しかったのですが、就職先として母が反対。

「県外の会社はいややし…」
「(大学で専攻した)研究や技術の仕事は、やっていて楽しいだろうか?」
「どうしようかなぁ…」

方向が見えないため、1年留年しました。

1年間、考えましたが、就職先は来ならない。ただ、研究職・技術職は、楽しくできないと思い、やらないことにしました。

そうはいっても、大学卒業してなにもしないわけにいかないので、母は、親戚でもある、今の会社の中原社長に相談したのです。

「雇ったって。仕事ある?」

中原社長も、就職先が来ならないで迷っていたときに、声をかけてくれていたので、よろこんでくれました。

そうして、当面のつなぎとして、今の会社に、アルバイトとして入りました。

リフォームの仕事をしながら、あるとき、お客さんから、こう言われました。

「ありがとう。また、なんかあったら、頼むわ」

大学のアルバイトのときも「ありがとう」と言われたことはありました。ただ、この仕事をして、「ありがとう」という言葉だけでなく、「頼むわ」と、お客さんから頼られることが、初めての経験でした。なんとも言えない、うれしさでした。

また、中原社長は、私の意見も丁寧に聴いてくれました。中原社長自身、この会社の後継者について悩んでいるとも話してくれました。そんな中原社長の人柄を見て、将来、この会社を継いで、大きくしていきたい、そんな想いが強くなってきたのです。

お客さんに、よろこんでもらうだけではなく、頼られるような仕事をしたい。

就職先が決まらず迷っていたときに声をかけてくた中原社長のような人のもとで働きたい。

そう明確に思えたとき、「ここで、働く」そう決心できたのです。

「なぜ、私が【覚悟】を使命と掲げているのか?」

中原社長のところに就職すると決めたことを母に話しました。すると、母は、「本当にいいの?たとえば、消防士とか公務員の道もあるのよ」と言いました。

その母の言葉を聴いたとき、私は、ハッとしました。

中原社長の会社に行くことが「また、楽な道を選んでいるんじゃないか?」という疑問がわいてきたのです。

いつも母の気持ちに応えようとして、今まで自分の意見を通さず、楽で消極的な道を選んできたんじゃないのか?

自分ができる範囲の楽な道を選んで、大学と学部を選んだ。

自分の人生の責任を負って来なかった。
自分がしたいことの責任を負って来なかった。

そのために、自分の人生の方向が決まらなかった。

そうなんです。自分がしたいことを選択し、自分の人生に責任を持つ覚悟がなかったのです。そのことに、母の言葉から気づいたのです。

そこで、わたしは、【覚悟】を使命と掲げることにしました。

そのために、消防士の試験を受けるために勉強しよう!消防士の試験に合格した上で、中原社長の会社に行くのであれば、母も納得するだろう。

楽ではない、消防士の試験の勉強している姿を見たら、母も本当の意味で、安心するだろう。

その上で、中原社長の会社に務めることは、楽な道ではない。今度こそ、楽ではに道を進もう!私の最後のわがままとして、許してもらおう。

「消防士の試験、やってみる」

人は覚悟が決まると、動き出すもの。簡単ではない消防士の試験勉強を一生懸命やりました。結果、消防士の試験に合格。

そこで、母に、あらためて中原社長の元で働く意思を伝えました。

「おれが、将来社長になって、会社をもっと大きくして安定化させる。
 あとは、おれに託したって」

はじめて、母に自分の言いたい想いのたけをぶつけました。

「あなたが決めたんなら、あとはしっかりしなよ」
そう母が言ってくれたことが、とてもうれしかったです。

今、中原社長の元で働いて2年半。おかげさまで、お客さんからもこのような言葉をいただけるようになりました。

「そこまで気にかけていただき、うれしいです」

「この人なら、なんでも話していいと思いました」

「正直に話してくれたので、助かりました」

このように言われると、どんなことにも逃げずに、覚悟を持つと決めたことがよかったなぁと思っています。

これからは、

「わたしたちの考えていること、聴いてくれるかしら…」

「うちみたいな難しい話、聴いてくれるところあるかしら…」

「無理なことは最初から無理って正直に言ってくれたらよかったのに…」
このようなことで、悩んでいるお客さんの笑顔のために、心を込めて、覚悟を持って仕事をします。

最後になりますが、

ここまで、大事に育ててくれた母には、感謝しかありません。
そんな母には、安心した生活をして欲しいと思っています。
そのために、父と母が、もう一度、わかりあえたら、
この上ない、しあわせです。